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2012-04-01 (日) | 編集 |
ざわ・・
  ざわ・・
第二回長野マラソン
『早くしろ!!』と呼ばれて焦ってしまった。6時30分、既に準備の出来たオヤジと弟の小僧君がクルマに乗り込み叫んでいる。『今日は6時半に出ると言っといたろうが、ボケェ!』とトイレでフンバッテいる私を慌てさせていた。駐車場(兼ゴール)となる南長野運動公園に時間ギリギリに到着し、間一髪スタート地点行きのバスに間に合った。慌ただしく家を飛び出してきたため、お約束のヒッキー(宇多田ヒカル)もELT(Every Little Thing)も聞けずにバスに揺られている。
2時間59分・・
これは私がこの大会の申し込み用紙に書いた予想タイムである。恐らくはそのタイム順によってゼッケンが割り振られているのだろうが、あまりにもハッタリをかまし過ぎた感がある。もっとも2時間10分、などというタイムを書く勇気もなかったのだが。しかし、たとえ5時間であったとしても走りきるのは難しいかもしれない。練習は一切して来なかった。須坂以来全く走っていない。そればかりか不摂生な生活を送り怠慢な日々を過ごしてきた。ユニフォーム(と言っても昨年も着たただのマラソンTシャツ)なんか今朝になって慌てて探し出す始末だ。おまけに半年もホッポリ出してあったのでホコリとヤニで半分変色してしまっている。およそマラソンを走ると言う意識がない。にも関わらずどうにかなるだろう、と思っていた。自信もあった。昨年もぶっつけ本番で、5分ほどオーバーしてしまったが走りきっているのだ。俺の根性を持ってすればなんとかなるだろう・・・と。

スタート地点である山ノ内町オリンピックメモリアル聖火台は相変らずの賑わいを見せている。有名な選手、らしい人。外国人、らしい人。虎のマスクをかぶったタイガーマスク・・らしい人。タバコをふかす私をいぶかしげに見ている人。昨年いた徐行運転君は見かけなかったが、もしかしたら徐行運転を卒業してレベルアップしたのかもしれない。そして湿布のようなツンとした香りが流れ出し、さらには人々の熱気も混じってあたりを覆い、いやがうえにも盛り上っている。スタート50分前、クツにランナーズチップを付けシャツにゼッケンを貼り付ける。もちろんゼッケンは乳首と干渉しない様に腹のあたりに取り付け、クツもまめが出来ない様に紐をきつく締めた。スタートに備えアップをするというオヤジとタカシと別れ、アップをする必要のない私は荷物を預けスタートブロックに並び、周りのオネエチャンでも物色するよりない。スタートブロックの体系はいちばん前に招待選手、その次に競技連盟登記登録者、そして1001番よりはじまる一般参加者の順となっている。そして一般参加の並び順は予想タイムにより構成されている(と思われる)から、2時間59分というタイムを申告した私は1256番というゼッケンをもらい、かなり前の方のブロックからのスタートになっている。この大会の制限時間は正確に言うと5時間であって5時間ではない。つまりスタートの鉄砲が鳴ってからの5時間(グロスタイム)であって、スタートラインを通過してからの5時間(ネットタイム)ではない。実際には後方の選手がスタートラインを通過するまで数分かかる。厳密にいえばタイムラグが生じる為、不公平とも言えなくないが、そんな些細な事にムキになって異議を申し立てるようなつもりはない。ともかく私の1256番のブロックは早くスタートラインを通過できるというメリットがある。最後方スタートと比べ1分以上の開きがあるだろう。無論、デメリットもある。私のように実力に見合わないゼッケンを付けている者が、3時間を切る走力がなければならない者が、最後方をチンタラ走っている様は間違いなく恥かしいだろう。いやこれはデメリットなんかじゃなく、他の真っ当なランナーに対して大変失礼なコトであり、大会主催者にしてみれば迷惑この上ない存在であるに違いなかった。

スタート10分前、招待選手の名前が読み上げられる。ゼッケンナンバー3番のイカンガーが不参加らしいのが残念ではあるが、昨日偶然にも練習風景に遭遇し僅か1メートル横をすれ違った昨年の覇者、エゴロワなる選手が紹介された時は一際盛大な拍手が起こっている。右斜め前方にテレビカメラらしきモノがあり、私の方を向いていなかったのが残念であったがテレビに映る事が目的ではない。解説によれば世界記録を狙えるコースだと言っていた。言い換えればそれだけ走りやすいコースである、とも解釈できるだろう。はじめの下りには気を付けろとも言っていたが、加速がつくほどの急勾配ではない事は知っている。どっちみち、はじめから足に負担をかけなくても42キロはおろかその半分も走るような体力もなければ、走力もないのだ。最後は根性と気力の勝負になると読んでいるし、それは私にとってチャレンジする目的のひとつでもあったはずだ。

9時5分、『位置について、用意・・・パァーン』と鉄砲が鳴った。『やるしかねぇ』と自分に言い聞かせ気合を入れる。インチキなゼッケン番号によりスムーズなスタートを切る事が出来たが、まわりは正当なランナーである。同じペースで走れる訳がない。しばらくもすると自分のおさまるべきポジションにおさまったようだ。苦しくはないが2キロも走ると足に違和感を覚える。それがシロートの限界付近である事は察しが付く。痛みを紛らわせるために周りの景色をポケッーと眺めようとするが、沿道の応援がそれを許してくれない。今年の応援も素晴らしい。マラソン大会恒例の旗を持った人が道の両端を埋め尽くし、中には個人の名前を書いた横断幕を用意したモノもある。オジイサンがいてガキンチョがいる。若い奥さんが赤ん坊を抱いて『パパ頑張れー!』とやっている。選手だって負けてはいない。周りのランナーも応援に答えるように、ある者は声に出して、またある者はリアクションとして何等かの感謝の意味を込めた意思表示を示している。そしてより一層の応援が果てしなく繰り返されていく。『なんて気分がいいんだろう』 恐らくマラソンの最大の楽しさはそこにあるのではあるまいか。応援とボランティアの方々と選手とが今まさに一体となっているではないか。顔がニヤついてしまうのは仕方ない。そして、長野オリンピック記念長野マラソンと銘打たれたこの大会に出場している選手全てには、全うしなければならない使命が与えられている。それは私のようなチャランポランなイチ選手とて例外ではないはずだった。

5キロポイント通過。タイムは28分。理想的なタイムだった。速すぎるのではないかと不安になったが、遅いよりは良いだろう、程度の考えしか思い浮かばない。喉は渇いていなかったが、ボランティアのおばさんの感じの良さに思わず1杯頂いてみる。ちょうど良かったのかもしれない。日はすでに高く強い陽射しを浴びせている。予想では20℃を越えるといっていた。喉が渇いてからでは遅いのだ。渇く前に補給する事が大事なのだ。シロートとはいえそれくらいの知識は持っている。チョット気を抜くと足の痛みが込み上げてくるのが気になるが、そろそろ、なのだ。そろそろかかってもらわねば困るのだ。しかし一向にエンジンがかかる気配がない。オカシイぜ。ウォーミングアップは済んでいるんだぜ。クソッタレ・・・自分を罵ってみたがどうにもならない。エンジンがかかったら一気に行くつもりでいた。以前、須坂のベテラン氏が言ったアドバイスを思い出す。調子が良くても無理はするな、と。しかし調子が良い時に無理をしなければいつするのだろう。無理をしなくとも、いずれ必ずへばる時が来るのだ。ベテラン氏のアドバイスは正論である事に間違いはないだろう。しかしそれを自分にあてはめる事は出来なかった。シロートがまともにやって走れる距離ではないのだ。

6キロを過ぎたあたりで『お先ィ』と声をかけられた。まさか・・と思った。スタートの時点で数分のビハインドがあり、約6キロにも及ぶ下りを決して遅くはないペースで走って来たハズなのだ。私に会話をする余裕がないと見て取った小僧は『ホナ!頑張りィ!』とそのまま行ってしまった。トーシロであると思っていた弟に抜かれ、カチンと来なかった訳ではないが、しかしその潔さがサッパリしていて悪くない。太鼓を叩く威勢の良い応援に励まされながら、7,5キロの給水ポイントでアクエリアスを補給し中野市街地を離れる。途中どうしても我慢できずに立ちションをしてしまったが、許して下さい。58分にて10キロポイントを通過する。タイム的には理想的であった。

道は田園地帯に差しかかっている。畑仕事に没頭しているお婆さんを眺めながら、タバコをうまそうにふかしているオッチャンを見やり、昨年驚異の100人抜きをぶちかました高速沿いへと突入する。上向く気配は依然として感じられない。それでも、ここまでは昨年を上回るタイムで来ているのだ。問題はこのペースを保つ事であり、また、どのようにして保っていくのかが重要なポイントとなってくるだろう。重要なポイントと言っても、単なる我慢比べ以外のナニモノでもないんだけどね?足の裏にまめが出来た気持ち悪さを感じるが、こみ上げるゲロを我慢する辛さや、肩の関節の神経を圧迫する痛さに比べれば蚊に刺された程度のモノでしかない。昨年膝を痛めてしまった小布施橋へと向かう緩やかな上りに差し掛かる。歩こうかな、と思った。しかし良く見るとかすかに上っているくらいで、こんな所で膝をやっちまったのか?と疑う程の勾配でしかない。しかし念のためペースを落とす。大応援団の大きな声援を受け小布施橋に入る。15キロポイントを通過した。1時間29分。非常に良いペースだ。さてッ、と、菜の花畑のカップル様でも拝んでやろうかと見渡してみるが、ヒトッコ一人いなければ花も咲いていない。今年は一週早いせいか、暖かい日が少なかったのか見頃はまだ先のようだ。しかし心地よい風が吹いている。この分だと追い風にはならないだろうが、このような気持ちの良い春の香りのする向かい風なら大歓迎だ。

橋を渡ってからは応援がありがたかった。この8キロにもわたって続く堤防道路。瞬間的、であるなら景色の良さを感じ取る事が出来よう。しかし、単調な一本道と鈍足ランナーである。ただゆっくりとだけしか流れない同じ景色を眺め続けるのにも飽きてしまうだろう。顔がニヤついていしまう事は仕方ない。しかし、ただニヤついてきた訳ではない。考えてもいるのだ。応援の主役は間違いなく子供達なのだろう、と。いや、そう感じるのは素直になっていたのかもしれない。私自身が汚れてしまっているだけなのかもしれない。でも、と。やはり子供なのだ、と。子供達の無邪気な応援を見て私はそう思ったが、それ以上は深く考えない様にした。

あれかァ。来たぜェ・・。それが18,8キロのお菓子ポイントである事は体の細胞がすでに教えてくれている。『ちょっくらエネルギー補給といきますか』しかし、まず初めにバナナが出てきた時嫌な予感がした。次に出てきたモノもバナナ、その次もバナナ・・。人の良さそうなおばさんに『おなか空いたでしょ、食べてって』と言われて、さすがに『チョコレートはねぇんかい?』などとも言い出しにくく、『頂きます』と頂戴する。チョコレートがない事は計算外だったが、だからといってダダをこねるほどガキではない。それにお菓子だけがエネルギーの補給源ではない。エネルギーの元なら腹まわりにいっぱい付いている。自分の意志で燃やす事が出来ないのが難点ではあるが。そんな事を思いつつ20キロポイントを通過した。2時間1分。タイム的には素晴らしいペースだった。

30キロを3時間で走る。それが今大会における私の戦略だった。そして残りの12,195キロを2時間で余裕を持って乗り切る。消防団がボランティアから撤退してしまったのは致し方ないが(消防は大変なのです)、終盤の松代近辺には応援が待ち構えているはずだ。ドクでも補給させてもらって記念撮影と洒落込もうではないか。とにかくキツクても30キロを3時間でいこう。そうすりゃあとは歩いても何とかなるだろう。今、頑張っておけば、あとで思いっきりラクできる。 なんとしても今年は時間内に完走するのだ。

2時間39分にて25キロを通過する。ペースは少し落ちたが悪くないタイムだ。エムウェーブの応援はさすがっ、と言わざるをえない。一瞬昨年より少ないのではないかと思ったが、それは応援がエムウェーブ全体に分散した為だとわかる。エムウェーブはバカでかいのだ。そのバカデカイ建物の周りをグルっと周回する・・賑やかだ。それは恐らくエムウェーブが単なる応援の一過点や長野五輪の象徴というだけでなく、観光名所、いこいの広場、そしてデートスポットとしても人を引き付ける場所になっている事に他ならないだろう。いちゃつくカップルを眺めながら、やっぱりなと、何かに感心してしまう。不意に声をかけられた。振り向くと家のおばあちゃんと親戚のおばさんが応援してくれていた。嬉しかった。それだけでもここまで走ってきた甲斐がある。

どのくらい走っただろう?痛くてもう走れない。モモの内側がつる。ふくらはぎがつってしまう。足を着地させる度に激痛がはしる。この痛みは何なんだ。なぜ俺はこうまでして走っているんだ。完走して当たり前だと!ふざけんなァー!!今何キロだ。あと何キロ走ればいいんだ。チクショウがァ!!カルシュウム不足かもしれない。人間怒ると良くない。それはわかっている。早く家に帰ってビールが飲みたい。良く冷えたラガー。きっとうめえだろうなぁ・・。それもわかっている。でもそれがなんなんだ・・?足の痛みを無視する為に無理やり何かを思い描こうとするが、訳のわからないモノしか思い浮かべず、絶望的な痛みにすぐに現実に引き戻されてしまう。ああ・・俺はなんて事にチャレンジしてしまったのだろう・・。そして昨年の私はこの痛みに耐え切ったというのか・・・。

28キロ地点の給水ポイントにきた。バナナを食いながら私は絶望的な気分になっていた。すでに3時間を過ぎようとしていた。予定より遅れている。急がなければならないだろう。しかし事態はさらに過酷さを増している。五輪大橋の上りはキツかった。一度歩き出すと走る事が億劫になる。走っては歩き、また走っては歩く。走っても歩いても進まない。まわりの景色を楽しむ余裕なんてない。太陽は容赦なく強い陽射しを浴びせている。29、9キロ関門の橋の料金所を通過して30キロポイントへ辿り着いた。タイムは3時間18分。予定をオーバーしているが、思ったほど遅くない。いや、昨年より10分も早い。残り時間は1時間40分ある。1時間40分で12キロならいけるんじゃねえか?と頭の中をかすめる。しかし何かがおかしい。『ここまで来た』という実感がない。『ここまで走れたァ!』という感動が沸いてこないのだ。いったい俺はどうしてしまったんだろう?

どっかのおばさんが私を見ている。何だってあのオバハン、俺なんか見ているのだろう?何やら手元が光った。その光がカメラのフラッシュだとわかった時、そのオバハンがカアチャンである事に気付いた。『小僧は20分前に、父さんは40分前に通過したよー』と教えてくれる。そうか、それは良かった。彼等はきっと完走するだろう。

『まだ大丈夫』『まだ時間がある』『まだ歩いていても大丈夫だ』『あとで走るから、だからもう少しだけ歩かせてくれ、もう少しだけ・・・。』そう思いながら34キロのホワイトリングまで歩いてきた。沿道の暖かい励ましの応援を受けながらここまで歩いて来てしまった。『行け』『今すぐ走り出せ』『今から走ればまだ間に合う』『行けったら行けェ・・・』何度自分に言い聞かせただろう。しかし走る事が出来ないのだ。『走れない訳ねえだろ、お前にはちゃんと足がついているんだ』『甘ったれるな。おまえの根性はこんなモンなのか 』『さあ行け。いいか、最後まで諦めるんじゃねえぞ・・・』しかし・・。35キロポイントを通過した。4時間20分。もうアドバンテージが残っていなかった。最終関門である38キロまであと3キロ。そして関門閉鎖まであと15分。

根性だけでどうにかなると思っていた。いや、私にはそれしかなかった。『人間、やりゃあなんでも出来る』それが私の信念だった。身をもって証明する事が出来なかったが。しかし根性を貫くには覚悟が必要だった。覚悟をキメるには目標が必要だったのだ。そして目標が意志となって本能を司った時はじめて、人間やりゃあなんでも出来る・・為せば成る・・のだろう。更埴橋を渡る。36キロを通過。『更埴橋は1時ごろ通過するから・・』確か私はそう言った。しかし予定よりも35分も遅れて到達した。期待に応えられなかった。そればかりか無様にノコノコと歩いている。顔を上げ胸を張る事が出来ない。あの時もうちょっと我慢していれば・・・なぜ我慢できなかったのだろう・・何がいけなかったのだろう?始めの下りでちょんこついたからか?それも確かにあるかもしれないが、どのみち最後はこうなる事はわかっていた。それを望んだうえでのチャレンジだったのだ。今の私に確固たる目標があったのかはわからないが、生半可な目標では通用しなかった。今の私になくて、昨年の私にあったモノ・・。人がいなくなった土手を呆然と歩いていく。給水ポイントの後片付けが始まっている。片づけられて箱に納められたバナナを見ながら、やがて己をひとつ理解した。私の本能を突き動かし、力を与えてくれる私にとっての意志とは・・・なのではなかったのか。と。いやそれだけではなかった。私は自分の可能性に賭けていたのだ。ちょっぴり本音を言えば、たとえ確固たる目標がなくともこれしきの痛みは乗り越えられると思っていた。これしきの試練は簡単に乗り越えてくれると・・俺の限界はこんなもんじゃねぇ・・と。いつまでも自分の可能性に夢を抱いていたかった。しかし、私の夢が、可能性が儚く散ってしまった。限界が知れてしまったのだ。己の底が・・。走りきれなかった以上、もはや認めざるを得ないだろう・・・。

それはやはり独特の雰囲気だった。私は38キロの最終関門まで歩いた所でランナーズチップを外され棄権者収容バスに乗り込んだ。私が最後のお客さんであったのか乗り込むとすぐ出発した。すでに満員だった。誰も話しかけようとしなければ自分から口を開こうとする人もいない。テンションはイマイチ盛り上っていないが、しかし完走できなかった者達の一種の連帯感のようなモノは感じられない。ただ、誰もが何かを考えている事はわかる。私もまたその一人であっただろう。あえてマラソンに勝ち負けをつけるなら、完走者は全員勝ち組であろう。しかし不完走者が負け組みだとも思えないのだ。自分の全てを出し切れば。自分の全てを出し切っても届かなかったのなら。私は全てを出し切ったと言えるのだろうか・・?その時であった。思いもよらぬ光景が飛び込んできた。その思いもよらぬ光景を見て、私は強い衝撃を受けた。なんとランナーが誰もいない歩道の上を、今にも倒れそうな足取りでゴールへと走っているのだ。ゼッケンも付けてはいない。チップも外されているだろう。しかしそれでも必死で走っている。そして、その時初めて『マラソンは自分との闘いである』と言う事の本当の意味に気が付いたような気がした。目標があったから走れた、なかったから走れなかった、などと言うのは単なるいい訳か、私の個人的な妄想に過ぎなかったのかもしれない。私は自分に負けたのだと・・・

登場人物の紹介と専門用語の解説
・イカンガー:ジュマ・イカンガー、タンザニア出身の歴史的英雄。ゲスト招待されたがピザだか何かの関係で来日出来ず
・エゴロワ:バルセロナ五輪の金メダリスト、ロシア出身。遭遇した時の印象は小柄なおばさん
・ドク:タバコの事。呼び名の由来は体に悪影響を与えるモノから。競技中の喫煙はイケナイらしいが、禁止ではない(当時)

注記・現行との違い
・長野マラソン初期は山ノ内町からのスタート(高低差が規定以上の為、マラソン公式認定ではない)。現行は長野市北長野運動公園から長野市街地を経由するコース。
・長野マラソンのゼッケンは申込時に記載する予想完走タイムの早いもの順に割り振られる。
・初期開催の大会(少なくとも第1回大会)は、スタート時刻から5時間でゴール締切。後方に並んだ選手がスタートラインを通過するまでの時間(当時、参加者5000人で最後方ならスタートラインまで5分くらいかかる)はビハインドとなっていた。現行はその時間と+アルファが考慮されています。つまりある意味、現行も制限時間は5時間であって5時間ではない。
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