2016-12-10 (土) | 編集 |

2016年12月3日(土)
尼巌山(あまかざりやま)長野市松代町
今回は地元の里山へ

まずは大室古墳群を観察
古墳の数は全部で520余基と日本最多の古墳群
その中でも最も多くの古墳が分布する大室谷
越後の長尾景虎がこの谷を登り、現在の松代城に陣取る甲斐の武田晴信に奇襲をかけたと言う、世にいう川中島の合戦の一つの舞台にもなっている
中央付近の道路は上信越道、ここは大室第一と第二トンネルの間の僅かな谷

この入り口に位置する円墳が最も有名。現在はコンクリで固められてしまっているorz
昔は明治や駒沢の考古学部が研究に来ていた
尚、この辺りは広大な敷地が良く整備され、大室古墳館なる展示施設もあります(冬季閉鎖、入館無料)
子供の頃、この古墳は秘密基地の一つで、中で焚き火してモウモウと煙はいて激しく怒られた経験ありorz.
この古墳に限らず、古墳の天井にはベンジョコオロギ(正式名カマドウマ)がたくさん張り付いている事も多い

トンビ岩、通称とび岩
駐車場は古墳駐車場を利用
近所のアートウォールの森山センセイが開拓されたルートも多い、比較的難度の高い岩場
ちなみに、この山の左先の上に大室古墳群唯一の前方後円墳があり、その尾根の更に先に大室温泉まきばの湯

参考写真
古墳館内部にあるマップ図(撮影は平成7年、当時はホワイトリングが作られている頃で、まきばの湯の温泉もまだ出ていない。写真提供はマイファーザーorz)
すごいですね
こうして見ると、ホンの僅かな谷に古墳が作られているのが良くわかる(赤丸がおおよその分布)
左の若穂地区及び、尼厳山から手前に伸びる尾根の右側の大きな谷には1基も作られていないのです
不思議ですね
なぜ、この小さな谷にのみ古墳が作られているのか?
詳しい事は現在もわかっておりません
尚、昔の千曲川(信濃川)は、ほんの少し前の上田城の尼ヶ淵と同様に、写真の山際を流れていたと言う
私の子供の頃は尼厳山直下の平野部に牛をも飲みこむ底なし沼(通称:牛池)などの、かつての川の流れの名残りも残っていたが、現在は金井池が残る程度(千曲川の流れが変わって、すり鉢状の窪地に水が残ったと言う大きな池。ちなみに私の子供の頃に、千曲川時代に取り残されたと思われる2メートルほど&相撲取りくらいの胴回りのある桁違いにデカイ、推定年齢250年の鯉が、大雨氾濫で打ち上げられたことがある)

池田の宮登山口、写真の山が尼厳山(山頂直下に岩場)
ここでいきなり消防団時代の分団長に出会うorz
仕事の合間をぬって、少年野球のコーチを務められていました
この東条は、松代町の中で最も少年(小学生)野球の強い地区

落ち葉でふかふかの登山道
この尼厳山は、隣の奇妙山(大室からでも東条からでも、若穂からでも必ず杉林を通るので、やや陰のイメージがある)と違って、クヌギとマツの里山情緒の明るい尾根を行く手ごろで楽しい里山風情の山であり、おまけに岩場も楽しめる

ここの岩場で最も難しいルート
下山時に懸垂するべく上にまわり込んだら、落石誘発が激しい場所でしたorz
今回はクライミング動画も撮りましたがここでは編集せず、今年の総集編動画の、恐らくラストで登場します

皆神山
何やらピラミッド説もある山
ま、そんな訳ぬぇけどね

あんず畑を俯瞰

尼巌山780.9m
山頂からは長野盆地を正面によく開ける
写真は鍋倉山関田山脈方面で、正面左の顕著な山は斑尾山

山頂からの風景
北アルプスの眺望は五竜以北が望める

山頂からの善光寺平と、戸隠連峰~飯綱山~妙高の山々
実は私の実家と畑がモロに見えております(゜゜;)

山頂風景
当日はツール・ド・長野とやらのトレランレース(最長で130キロ、制限時間30時間)が行われていて賑やか
開催は信州トレイルマウンテン

珈琲タイム
山専ボトルで淹れる珈琲

山コーヒー

下山風景

下山しました
登山口はトレランの第二エイドで、とん汁やおむすび、サンドイッチ、某有名ぶどう園三代目のぶどうなどがありました
大鍋のとん汁を見せてもらったら、豚バラ肉たっぷりでとても美味しそうでした

下山後は山里にある超濃厚豚骨ラーメンのゆい六助へ
ここは本店ながら、かつて川中島に出店した頃は、長野県豚骨ラーメン部門第一位の評判店で、とても美味しいラーメンでしたが、ココに移転してからちょっと残念な感じにorz
ゆい六助上田店は、昔の本店に近い美味しいラーメンです

真田丸のオープニングに登場する海津城(松代城)
真田信繁(幸村)堺雅人と名前が出る序盤の扉のシーン

海津城と尼厳山
コースタイム
2016年12月3日(土)
登山口(10:10)-尼厳山(11:30/12:10)-岩場でクライミング(12:20/13:20)-下山(13:45)

まずは大室古墳群を観察
古墳の数は全部で520余基と日本最多の古墳群
その中でも最も多くの古墳が分布する大室谷
越後の長尾景虎がこの谷を登り、現在の松代城に陣取る甲斐の武田晴信に奇襲をかけたと言う、世にいう川中島の合戦の一つの舞台にもなっている
中央付近の道路は上信越道、ここは大室第一と第二トンネルの間の僅かな谷

この入り口に位置する円墳が最も有名。現在はコンクリで固められてしまっているorz
昔は明治や駒沢の考古学部が研究に来ていた
尚、この辺りは広大な敷地が良く整備され、大室古墳館なる展示施設もあります(冬季閉鎖、入館無料)
子供の頃、この古墳は秘密基地の一つで、中で焚き火してモウモウと煙はいて激しく怒られた経験ありorz.
この古墳に限らず、古墳の天井にはベンジョコオロギ(正式名カマドウマ)がたくさん張り付いている事も多い

トンビ岩、通称とび岩
駐車場は古墳駐車場を利用
近所のアートウォールの森山センセイが開拓されたルートも多い、比較的難度の高い岩場
ちなみに、この山の左先の上に大室古墳群唯一の前方後円墳があり、その尾根の更に先に大室温泉まきばの湯

参考写真
古墳館内部にあるマップ図(撮影は平成7年、当時はホワイトリングが作られている頃で、まきばの湯の温泉もまだ出ていない。写真提供はマイファーザーorz)
すごいですね
こうして見ると、ホンの僅かな谷に古墳が作られているのが良くわかる(赤丸がおおよその分布)
左の若穂地区及び、尼厳山から手前に伸びる尾根の右側の大きな谷には1基も作られていないのです
不思議ですね
なぜ、この小さな谷にのみ古墳が作られているのか?
詳しい事は現在もわかっておりません
尚、昔の千曲川(信濃川)は、ほんの少し前の上田城の尼ヶ淵と同様に、写真の山際を流れていたと言う
私の子供の頃は尼厳山直下の平野部に牛をも飲みこむ底なし沼(通称:牛池)などの、かつての川の流れの名残りも残っていたが、現在は金井池が残る程度(千曲川の流れが変わって、すり鉢状の窪地に水が残ったと言う大きな池。ちなみに私の子供の頃に、千曲川時代に取り残されたと思われる2メートルほど&相撲取りくらいの胴回りのある桁違いにデカイ、推定年齢250年の鯉が、大雨氾濫で打ち上げられたことがある)

池田の宮登山口、写真の山が尼厳山(山頂直下に岩場)
ここでいきなり消防団時代の分団長に出会うorz
仕事の合間をぬって、少年野球のコーチを務められていました
この東条は、松代町の中で最も少年(小学生)野球の強い地区

落ち葉でふかふかの登山道
この尼厳山は、隣の奇妙山(大室からでも東条からでも、若穂からでも必ず杉林を通るので、やや陰のイメージがある)と違って、クヌギとマツの里山情緒の明るい尾根を行く手ごろで楽しい里山風情の山であり、おまけに岩場も楽しめる

ここの岩場で最も難しいルート
下山時に懸垂するべく上にまわり込んだら、落石誘発が激しい場所でしたorz
今回はクライミング動画も撮りましたがここでは編集せず、今年の総集編動画の、恐らくラストで登場します

皆神山
何やらピラミッド説もある山
ま、そんな訳ぬぇけどね

あんず畑を俯瞰

尼巌山780.9m
山頂からは長野盆地を正面によく開ける
写真は鍋倉山関田山脈方面で、正面左の顕著な山は斑尾山

山頂からの風景
北アルプスの眺望は五竜以北が望める

山頂からの善光寺平と、戸隠連峰~飯綱山~妙高の山々
実は私の実家と畑がモロに見えております(゜゜;)

山頂風景
当日はツール・ド・長野とやらのトレランレース(最長で130キロ、制限時間30時間)が行われていて賑やか
開催は信州トレイルマウンテン

珈琲タイム
山専ボトルで淹れる珈琲

山コーヒー

下山風景

下山しました
登山口はトレランの第二エイドで、とん汁やおむすび、サンドイッチ、某有名ぶどう園三代目のぶどうなどがありました
大鍋のとん汁を見せてもらったら、豚バラ肉たっぷりでとても美味しそうでした

下山後は山里にある超濃厚豚骨ラーメンのゆい六助へ
ここは本店ながら、かつて川中島に出店した頃は、長野県豚骨ラーメン部門第一位の評判店で、とても美味しいラーメンでしたが、ココに移転してからちょっと残念な感じにorz
ゆい六助上田店は、昔の本店に近い美味しいラーメンです

真田丸のオープニングに登場する海津城(松代城)
真田信繁(幸村)堺雅人と名前が出る序盤の扉のシーン

海津城と尼厳山
コースタイム
2016年12月3日(土)
登山口(10:10)-尼厳山(11:30/12:10)-岩場でクライミング(12:20/13:20)-下山(13:45)
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この記事へのコメント:
古墳がそんなにたくさんあるんですね。不思議。大阪の南の堺市(利休殿や愛之助さんの出身)にやたら古墳があるのでここが日本一だと思ってました。
松代城、テレビではセットとかCGじゃなくて本物の映像なんですね。真田丸関連で今年は大盛り上がりですね。というか後半は大阪城ばかりだったのに私が全くイベントに行ってないのであまり真田って感じがしてなかったら、赤揃えの姪の写真があり「どうしたん?」と聞いたら「パパの会社真田丸の隣やで」とのこと??パパがファンでNHKに見に行ったとのこと、そんでNHKのとなりは大阪府警。こんな身近に真田丸ファンがいたとは。。。
松代城、テレビではセットとかCGじゃなくて本物の映像なんですね。真田丸関連で今年は大盛り上がりですね。というか後半は大阪城ばかりだったのに私が全くイベントに行ってないのであまり真田って感じがしてなかったら、赤揃えの姪の写真があり「どうしたん?」と聞いたら「パパの会社真田丸の隣やで」とのこと??パパがファンでNHKに見に行ったとのこと、そんでNHKのとなりは大阪府警。こんな身近に真田丸ファンがいたとは。。。
コメントありがとうございます。
はい、当時の日の本の中心あるいは畿内にあるような規模ではありませんが、地方ならではの古墳の特徴のようなモノがあるようで、山に分け入れば、研究者を喜ばせる昔のままの状態を保った古墳も多く、更には未発見の古墳があり得る可能性まである、田舎の古墳群で御座います。
どちらかと言えば松代は初代藩主の真田信之所縁の町でありまして、真田家紋の一つ六文銭の大元でもあるのですが、真田丸フィーバーからはやや乗り遅れたイメージもあります。オープニングの松代城の扉のシーンは本物の映像を使いつつ、CGちっくに加工されたモノのようですね。
真田丸もいよいよ最終回、今週土曜は伯父上様とご対面の機会に恵まれました。
はい、当時の日の本の中心あるいは畿内にあるような規模ではありませんが、地方ならではの古墳の特徴のようなモノがあるようで、山に分け入れば、研究者を喜ばせる昔のままの状態を保った古墳も多く、更には未発見の古墳があり得る可能性まである、田舎の古墳群で御座います。
どちらかと言えば松代は初代藩主の真田信之所縁の町でありまして、真田家紋の一つ六文銭の大元でもあるのですが、真田丸フィーバーからはやや乗り遅れたイメージもあります。オープニングの松代城の扉のシーンは本物の映像を使いつつ、CGちっくに加工されたモノのようですね。
真田丸もいよいよ最終回、今週土曜は伯父上様とご対面の機会に恵まれました。
2016/12/12(Mon) 22:58 | URL | 13B #-[ 編集]
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